唐丹のナマハゲ、「ヒガタタクリ」

by Chiba

 

「お父さん、吉浜にはナマハゲがあるんだって。唐丹にはないのに」

「なに、あったのさ」

 2018年11月に大船渡市三陸町吉浜に伝わる「スネカ」がユネスコ無形文化遺産に登録されたことを知らせるテレビニュースを見ていたときのこと。三陸町は、唐丹の南隣りの町である。

「ヒガタタクリだ」

「ヒガタ……?」

「ヒガタって、ホラ、こたつに入ってると出っぺさ」

 寒いからと、火のそばで動かずにいると、足に浮き出てくる赤い斑紋がヒガタだ。

「子どものヒガタを包丁でタクリにくる」

 「タクリ」の意味がぼんやりしていたので古語辞典を引くと、「(手もとに繰り寄せる意から)奪い取る。ひったくる」とあった。

 吉浜のスネカは、すね皮タクリが転じた名称らしいので、同じ意味なのだろう。ワラみのにアワビをぶら下げ、恐ろしい顔の面をかぶった男たちが家々を周り、刃物らしきものを振りかざし、子どもたちに「言うこと聞かねぇワラシはいねかぁ」「泣くワラシはいねかぁ」と脅すようだ*1。

「お父さんも、おっかなかった?」

「おっかなかったねぇ。逃げだった」

「いつまであったの?」

「いつまでかねぇ」

「昭和の津波の前まで?」

「んだごった」

 父は1925(大正14)年生まれだから、1933(昭和8)年の津波のときは、8歳である。悪いことをしていなくても、恐ろしい面をつけた奇怪ないでたちの人々から大きな声で怒鳴られれば、怖かったろう。

 昭和の津波では、唐丹村の全人口3,380人のうち359人が死亡、全戸数549戸の半数近い263戸の家屋が流出した*2。そこで古くから伝わる集落の行事が途絶えたと思われた。

 わが家のある小白浜地区は、1896(明治29)年の津波でも壊滅的な被害を受けていた。このときは、唐丹村の全人口2,535人のうち死亡1,649人、全戸数446戸のうち流出家屋は357戸にも上った。そしてそれから20年も経たない1913(大正2)年には、大火によって小白浜地区は150戸中141戸が焼失するという大惨事に見舞われていた*2。

 しかしどの災害においても、復興に励むなかで浜が賑わい、他郷から移り住む人も多く、町の人口は被災前よりも増えることになった。ただ、小正月に町の民家を訪れていたヒガタタクリの姿は消えてしまい、いまや記憶の世界からもいなくなろうとしている。

 

*1 陸前高田市 『広報りくぜんたかた』令和2年2月号、p.20「気仙風土記」

*2 盛岩寺ホームページ「津波と大火の災害記録」